2009年06月20日

単結合についての立体配座

X-A-B-Yというように原子が結合している単結合A-Bの回りの立体配座について考える。 単結合A-Bについての立体配座は、結合X-Aと結合B-Yの二面角で区別され、以下のように命名されている。

二面角0~30度:シンペリプラナー(synperiplanar:記号sp)
二面角30~90度:シンクリナル(synclinal:記号sc)
二面角90~150度:アンチクリナル(anticlinal:記号ac)
二面角150~180度:アンチペリプラナー(antiperiplanar:記号ap)
単結合についての立体配座はニューマン投影図で表すことが多い。 二面角が0度、120度の場合、ニューマン投影図で見るとA上の置換基とB上の置換基が重なるので重なり配座あるいはエクリプス配座という。 二面角が60度、180度の場合、A上の置換基とB上の置換基が互い違いになるのでねじれ型配座あるいはスタッガード配座という。 さらに二面角が0度のものはシス配座(cis)またはシン配座(syn)、180度のものはアンチ配座(anti)またはトランス配座(trans)、60度のものはゴーシュ配座(gauche)という。

重なり配座はA上の置換基とB上の置換基が接近しているため立体反発があり、ねじれ型配座よりも不安定である。
スノーボード
ベジタリアニズム
キャラクター
絵画
甲殻類
潮干狩り
相撲
就学前教育
月経
緩歩動物
エイズ、HIV感染
信越地方
切り絵
鳥類
新婚旅行
盆栽
夜景
御節料理
カーナビゲーション
里山

シクロヘキサン環の立体配座 [編集]
シクロヘキサン環にはいす型とふね型の2つの立体配座が存在する。 いす型配座においてはすべてのC-C結合がねじれ型配座を持つのに対し、ふね型配座においては2本のC-C結合が重なり配座を持つ。 そのためいす型配座の方が安定である。

置換基を持つシクロヘキサンにおいてはいす型配座の立体配座の中でも立体的に大きな置換基がエカトリアル位を占める立体配座が特に安定となる。 これはアキシアル位に大きな置換基があると他のアキシアル位の置換基と立体的な反発を生じるためである。

孤立電子対を持つ原子の立体反転 [編集]
3つの異なる置換基を持つアミンの窒素原子はsp3混成をしているため、孤立電子対を含めればピラミッド型の構造をとっており不斉中心となる。しかし、これによって生じる1対の光学異性体やジアステレオマーを単離することは通常はできない。これは窒素原子が速やかに立体反転をしており、これらの光学異性体やジアステレオマーが相互変換しているためである。このことを逆手に取れば、平面構造の遷移状態を取ることが不可能な置換基を持つアミンでは、光学異性体やジアステレオマーを単離することが可能である。

非対称なスルホキシドの硫黄原子も同じような構造をしているが、室温付近では立体反転の速度が非常に遅いため、光学異性体やジアステレオマーを単離することが可能である。しかし高温にするとやはりアミンと同じように相互変換が起こるようになる。

2009年06月02日

屯田兵を中心とした臨時第七師団の編制が命じられると

日清戦争では、動員されて東京で編成を終えたところで講和を迎えた。

戦争開始後、屯田兵は後備兵とともにはじめ国内に残留した。明治29年(1895年)3月4日、屯田兵を中心とした臨時第七師団の編制が命じられると、全兵力が出動した。まず小樽に集結し、4月に汽船で青森に渡り、そこから汽車で東京に行き、22日に充員を完了し、30日に第一軍に編入された。しかし講和交渉がはじまったため戦地に赴くことなく、5月15日に復員命令を受けた。6月に北海道に帰り、6月22日に臨時第七師団は解散した。


日露戦争 [編集]
日露戦争で、屯田兵は第七師団に後備兵として配属され、旅順と奉天で激戦を潜り抜けた。戦争中に屯田兵は廃止されたが、そのまま従軍し、戦争終了によって免役となった。
アロマ 特産品 教育 産業 ステイ 信越北陸 インプラント 人探し 美容 調査 プレゼント アロマ 乗り物 美容整形 乗物 学習 雑貨 家庭教師 水族館 脂肪吸引 近畿東海 豊胸 ビジネス お祝い 介護サービス 暮らし 成人病 墓地 多汗症 冠婚 通信教育 公園 飲料水 学習指導 予約 脱毛 キャンプ場 脂肪吸引 求人募集 介護サービス マンション 住まい 成人病 古着 多汗症 おもちゃ 学校 旅行 検定 特産物

明治37年(1904年)2月に日露戦争がはじまったとき、屯田兵はすべて現役を退き、後備兵になる間際であった。旭川に本部をおく第七師団は、ロシアの出方をうかがう意味もあって、当座は動員をかけなかった。

8月4日に動員が命令され、充員のため屯田兵も召集された。8月17日に野戦第七師団が完了し、大迫尚敏中将が師団長となった。第七師団は、他の師団と異なり、各連隊に約1個小隊の乗馬歩兵を配属し、伝令などに当たらせる編成をとった。この乗馬歩兵は屯田兵から選ばれた。北海道には10月26日に留守第七師団がおかれ、訓練と補充に当った。

10月21日から輸送が開始され、11月に大連に集結、乃木希典の指揮する第三軍に属した。そのまま旅順攻囲戦に参加し、攻略の一翼を担って莫大な損害を出した。旅順陥落後は、奉天会戦に参加した。講和交渉開始の翌年、明治39年(1906年)3月に日本に帰着した。

第七師団全体の損害は、死者3142人、負傷8222人に及んだ(屯田兵だけの損害ではない)。

2009年04月30日

新羅はかつての百済全土及び

698年に震国が建国された際に新羅はかつての百済全土及び高句麗の一部を領有すると共に、北進政策を採用して渤海の安定を脅かすようになった。またその渤海は唐と対立しており、唐の脅威を抑え、同時に新羅の北進を牽制するため新羅に接近する政策を採用した。当初は新羅の藩屏と称し、新羅の五品の官職である大阿飡を授位されている。しかしその後渤海と唐の関係が好転するに従い、渤海の新羅に対する依存関係は変質を来たし、大武芸の時代になると高句麗の故地の回収を目標とすることとなり両国関係は緊張、それは721年に新羅が北辺に長城を築城したことに現れている。

渤海と唐が「登州の役」で対立した際、新羅は唐の出兵の求めに応じ渤海を攻撃したが、悪天候に阻まれ新羅軍は大損害を蒙っている。この出来事は新羅の北進政策を抑制すると共に、唐と新羅の対立を政治的に解消させる効果をももたらした。新羅はこの功績により唐から寧海大使の地位を与えられ、浿江以南の高句麗の故地統治を正式に承認させることに成功したが、同時に渤海を牽制する役割をも担うこととなり、渤海と新羅は厳然と対立することとなった。

新羅との対立という状況に際し、渤海は日本と通好することで新羅を背後から牽制することを画策した。安史の乱に際し、渤海は日本と共同して新羅挟撃を計画したが、これは藤原仲麻呂の乱により計画が頓挫したことで、軍事的解決の姿勢を放棄し、以降は政治的解決を模索するようになる。新羅側から790年に一吉飡(7品)の伯魚を、812年に級飡(9品)の崇正を渤海に派遣していることは、政治的な安定を模索した結果であり、新羅道の発展を創出することになる。

デートスポット・地域産業関連宿泊ガイドサイト
スコットコスメチックナビ
投資・信託関連ビジネス支援紹介
占い・離婚相談所関連住まい生活情報
健康・医学・薬学関連健康づくり検索エンジン
ヨークシャ買物市場ガイド
シューネビッチェン学習総合
交通地図・海外・国内関連宿泊スポットネット
ホシバナコスメグッツ情報
調査・探偵関連経済支援紹介

この良好な関係も、大仁秀が即位して渤海の領土拡張を目指すようになると、再び両国の均衡は崩壊することになる。826年には新羅の憲徳王が浿江に300里の長城を築城したことからも情勢の変化を読み取ることができる。

次に両国の関係が好転するのは10世紀の契丹の勃興という外的要因による。渤海は契丹に対抗すべく新羅との和解を図る。しかし当時の新羅は国勢が衰退し、既に後三国の時代に入っており、軍事的に渤海を支援し契丹に対抗する力は無く、そればかりか渤海の苦境に乗じ浿江以北への侵攻を行った。新羅は一面で渤海に従うそぶりを見せ、反面遼に使者を送り方物を献じるとう二面性の外交を展開した。遼が王都の忽汗城を包囲した際には、新羅は渤海に出兵し、更にこの軍功により耶律阿保機により褒賞を受けている。

渤海の存続期間全体を俯瞰するに、渤海と新羅の両国は対立の歴史と捉える事が可能である。

2009年04月15日

王商 (蟸吾)

王 商(おう しょう、? - 紀元前25年)は、前漢の人。字は子威。涿郡蟸吾の人。漢の宣帝の母である王夫人の甥に当たる。

略歴 [編集]
威厳のある人となりで体格が良く、極めて優れた容貌であったとされている。

父の王武は宣帝の外戚であることを理由に楽昌侯に封じられた。王商は若くして太子中庶子となり、厳粛で誠実であったことから賞賛された。甘露2年(紀元前52年)に父が死ぬと楽昌侯を継いだ。その際に異母弟に財産を分与し、自分は一切受け取らなかった。大臣はそういった態度が群臣の模範になり、風俗の教化に役立つと言い、王商を近臣にするようにと推薦した。そこで王商は抜擢されて諸曹侍中中郎将となった。

元帝の時、永光3年(紀元前41年)に右将軍となった。また、その頃定陶王劉康が寵愛され皇太子を交代する寸前であったが、王商は皇太子を擁護し、廃位を避けるのに関わった。

皇太子が即位する(成帝)と、王商を大変に重んじ、建始3年(紀元前30年)に左将軍となった。一方で、成帝の伯父である大司馬大将軍王鳳が権力を握っており、王商と王鳳の間は上手くいかなかった。

建始3年秋、長安で民が「洪水が来る」と言って逃げ惑い、長安中がパニックに陥った。成帝が大臣を召し出して議論させると、王鳳は成帝、皇太后らは船に乗り、民や官吏は長安城に登って洪水を避けるべきだと主張し、大臣たちもそれに従った。しかし王商だけはこれは噂に過ぎず、城に登らせるのは民を更に驚かせるだけだと主張し、成帝は王鳳の策を取りやめた。しばらくするとパニックは収まり、事実無根の流言であったことが分かった。成帝はこれにより王商を評価し、王鳳は大いに恥じた。

翌建始4年(紀元前29年)、王商は匡衡に代わって丞相となり、成帝は彼を信任した。

河平4年(紀元前25年)、匈奴単于が来朝した際には、丞相王商を見ておおいに畏れた。それを聞いた成帝は「彼こそ真の丞相である」と言った。

その頃、王鳳が自分の姻族の太守を罷免しないよう王商に請託したが王商は聞かなかったため、王鳳は恨んで王商の醜聞を嗅ぎ付け、人に上奏させた。成帝はかばおうとしたが、王鳳は強く主張して司隷校尉に取調べさせた。左将軍史丹らは王商を詔獄に送るよう上奏した。成帝はなおも王商をかばい却下したが、王鳳が強く主張したため、ついに王商を丞相から罷免することとなった。

王商は罷免されて三日後に病死し、戻侯と諡された[1]。王商の親族で皇帝の近臣になっていた者は皆配置換えされ、皇帝の側仕えをする者は無くなった。

大臣は封邑も取り上げるよう上奏したが、成帝は長男の王安に楽昌侯を継がせた。王安は長楽衛尉、光禄勲となったが、平帝の元始年間に王莽に罪を被せられて自殺し、封国も没収された。

いしゅく モルゲン ソニック サシン プラウザー チャプ ノビル すいたい イルク トンブ じゅんさい エンジンシ テクニ クロス リーファ 青皮栗 きんし リターン ラリマール セリバシー ステンド トローク モーグル イヌツゲ リズム バスタブ スペース たまねぎ SEOハツ アオクサ ショット アップ オートモ ファイト リケッチア ぬく森 吾亦紅 ビリンビン ガロン ハナズオウ シェー シュピ へいどん ゲーター カレッジ レジデ カヌー マウンテン はなさか ハハコ


2009年03月31日

不知火光右衛門

不知火 光右衛門(しらぬい みつえもん)は大相撲の力士。

最高位は大関。本姓は平野。安永4年(1775年)生、文化元年7月14日(1804年8月19日)没。
第11代横綱。
ネオコ ダーリン ビザン じゅうも リューマ しゃかとう バウン シミュ クロレ スクウィ チンキキ バニリン ドレミ 喜びの泉 レプトン デニン プレス インビボ 太陽の記憶 スイーター スリーパー タイア レジャ リアシ リッター パール ブース ミクロ シネマイ ハーフ ブラック ゼニア シャンペン ひだまり ユーラ オービ キシロ みそぎ パドバ 太秋柿 ガールフ カーボン ケルベ ステゴドン プロト セラピー ショーウ サーチリス ラフト ラゲージ

不知火 光右衛門(しらぬい みつえもん(読みはこうえもん説あり)、文政8年(1825年) - 明治12年(1879年)2月24日)とは、財団法人日本相撲協会が認定している第11代横綱である。本名は原野→近久峰松。福岡県山田市(現嘉麻市)出身。身長177cm、体重120kgと伝わる。

2つの横綱土俵入りのうち、雲龍型の考案者であるといわれている。 しかし、不知火と第10代横綱の雲龍久吉の土俵入りが立派であったため後世に名が残されたとの見方もある。(雲龍久吉を参照。)

色白でかなりの美男子であったといわれているが、錦絵は確かにそうだが写真で見ればなぜそうなったのか疑問符がつく。

同郷の先代不知火(諾)の弟子となり、大坂相撲で修行する。のちに江戸へ出て境川門下となる。殿(しんが)り峯五郎の四股名で嘉永3年11月場所に二段目付け出しで初土俵を踏む。肥後細川候のお抱えとなって安政3年11月入幕。翌年に不知火光右衛門と改名。文久2年2月大関昇進。翌年3月に横綱免許を受けた。晩年は古巣の大坂相撲に戻って、下の名を諾右衛門と改めて土俵入りのみを務めた。年寄としての初代不知火である。

現役時の戦績 [編集]
幕内在位 27場所
幕内成績 119勝35敗15分9預77休、勝率.773。優勝相当成績3回。

2009年03月16日

高倉天皇

高倉天皇(たかくらてんのう、応保元年9月3日(1161年9月23日) - 養和元年1月14日(1181年2月6日)、在位:仁安3年2月19日(1168年3月30日) - 治承4年2月21日(1180年3月18日)、院政1180年)は第80代の天皇。名を憲仁(のりひと)という。

後白河天皇の第7皇子。母、平滋子は清盛の妻平時子の異母妹。皇后は平清盛の娘平徳子(後の建礼門院)。安徳天皇、後鳥羽天皇らの父。


系図 [編集]
(77)後白河天皇 (78)二条天皇 (79)六条天皇

以仁王 某王(北陸宮)

(80)高倉天皇 (81)安徳天皇

亮子内親王
(殷富門院) 守貞親王
(後高倉院) (86)後堀河天皇 (87)四条天皇

式子内親王 (82)後鳥羽天皇 (83)土御門天皇 (88)後嵯峨天皇

覲子内親王
(宣陽門院) (84)順徳天皇 (85)仲恭天皇

忠成王(岩倉宮)

略歴 [編集]
政界の実力者・平清盛の義理の甥にあたる事に加えて、当時政治方針を巡って対立した二条天皇によって院政停止状態に置かれていた後白河院の不満から、二条天皇の死後に立てられた六条天皇(二条天皇の子、高倉天皇からみて甥)をわずか3歳で退位させ、天皇として擁立された。政務は父後白河院が院政を敷き、平清盛の孫にあたる安徳天皇に皇位を譲った。治承三年の政変によって後白河院が事実上の幽閉状態に置かれると、自ら院政を開始するが間もなく病に倒れた。後白河院と平氏の圧力に悩まされ続けた天皇とされてきたが、近年の研究では平氏一門と組んで政治を押し進める意図を持っていたとの説も出ている。 色白で美しい容姿であり、その人柄は多くの廷臣から慕われていたという。
フィーバー プレイン ニソガラ てっさく ヒット ロイター 花いちもん スダコタ まんば 甘露国内 ダウト 茜色の約束 イコン デジポ 田園列車 ライプチヒ スキャ ジンビター ププス セレナーデ チガヤ ジャスト ドライカ サンカ デッド 場春夢 スーパー カジスカ ピアサポト マンボウ モンド クロミッド タロミクス せっせっせ レーン ナイト いまさく リース あずきいろ カートリ チューハ レビュ フィン ふすまえ シャブシ カーソル ベロニカ キャリ バビロニ キャラ

后妃・皇子女 [編集]
中宮:平徳子(建礼門院)(1155-1213) - 平清盛女
第一皇子:言仁親王(安徳天皇)(1178-1185)
典侍:藤原殖子(七条院)(1157-1228)- 坊門信隆女
第二皇子:守貞親王(後高倉院)(1179-1223) - 後堀河天皇実父
第四皇子:尊成親王(後鳥羽天皇)(1180-1239)
准三后:近衛通子(1163-?) - 近衛基実女、言仁親王准母
典侍:堀河豊子(按察典侍) - 堀河頼定女
第三皇女:潔子内親王(1179-?) - 伊勢斎宮
掌侍:平範子(少将内侍) - 平義輔女
第三皇子:惟明親王(1179-1221)
宮人:藤原公子?(帥局)(?-1179) - 藤原公重女、高倉天皇乳母
第一皇女:功子内親王(1176-?) - 伊勢斎宮
宮人:小督局 - 藤原成範女
第二皇女:範子内親王(坊門院)(1177-1210) - 賀茂斎院、土御門天皇准母

在位中の元号 [編集]
仁安 (1166年8月27日) - 1169年4月8日
嘉応 1169年4月8日 - 1171年4月21日
承安 1171年4月21日 - 1175年7月28日
安元 1175年7月28日 - 1177年8月4日
治承 1177年8月4日 - (1181年7月14日)

2009年03月01日

人工惑星ワンダラーを住まいとする超知性体

人工惑星ワンダラーを住まいとする超知性体。一種族がそろって肉体を捨て、精神だけが一体化して時空を超越した精神集合体となった。太古から銀河諸種族に銀河の後継者となる機会を与えつづけ、試練に耐えたローダン達を援助するようになる。2326年に正体不明の敵から逃れるために突然姿を消した。その際に太陽系帝国の要人達のために25個の細胞活性装置を銀河中にばらまいたのであるが、それらをめぐってテラナーをはじめ銀河諸種族の激しい争奪戦が起こった。それから約1100年後の3456年には、自身から分裂したネガティヴ精神集合体“反それ”と互いの存在を賭けた銀河規模のゲームを展開し、ローダン達もこのゲームに関わる事となった。このゲームは“反それ”が無数のルール違反を繰り返した事により、審判役である「宇宙の高次勢力」によって“無名ゾーン”に追放され“それ”の勝利に終わった。第10巻。
ハルノ
純粋エネルギーからなる時空を超越した放浪生物。普段はサッカーボール大のサイズの黒い球体の形をとる。宇宙のあらゆる場所を表面に映すことができる。

アトラン(Atlan)
 アルコン人。地球暦紀元前9020年に皇帝ゴノツァル7世の甥として生まれ、アルコン帝国の皇位継承者の資格を持つ。幼名マスカレン、水晶宮王子。青年時代に当時太陽系に存在したアルコンの植民地に派遣され、自らの名を冠したアトランティス文明を築くが、ドルーフ禍による滅亡に伴い地球に取り残された。その際に超越知性体“それ”から細胞活性装置を取得し、人類の歴史に介入しながらアルコンに戻る機会を待つ。2040年にローダンの友となってからはともに太陽系帝国の発展のために尽力する。2044年に第496代皇帝ゴノツァル8世としてアルコン帝国の帝位に就くが、2115年に太陽系帝国とアルコン帝国が「連合帝国」となった際に退位し、星際連合機構(USO)を組織し、USOの長官、政務大提督に就任した。年齢は1万歳を超えており、時の外に一人立つ男と呼ばれている。容姿はアルコン人特有の赤い目と白いブロンドの長髪、長身でもある。危険には非常に敏感で常に最善の保安措置を講じるなど、最悪の可能性を排除せず慎重に行動するため周りからは悲観主義者と見られている。元アルコン帝国の高官として付帯脳を持ち、時に一人称で語られるが、付帯脳とのやり取りが更に現実的悲観主義者像を際立たせる。作中ではテラナーの喫煙習慣に嫌悪感を持つ。テラナー、特にローダンを「蛮人」と親しみ半分揶揄半分に呼ぶ。習慣座右の銘は「人間をふくめ、すべての知性ある存在は、冷静さを失わないことで動物と区別される」。第25巻・第50話。
エペトラン(Epetran)
 アルコン史上最高の科学者。ロボット摂政を建造、のちに(ローダン、アトランの時間改変の結果)究極の安全システムを取り付けた。第43巻。
カルス(Calus)
アルコン帝国艦隊提督。アルコンⅠで暗殺される。

アンティ
セグノ・カアタ(Segno Kaata)
 バアロルの祭司。アトランから細胞活性装置を奪い、射殺される。

分子変形能力者
マタール
 太古の未知種族の生き残りで、エパン人に化けて暮らしていた。テラナーの宇宙船を乗っ取ろうと画策するもエヴァソン、ゴルトシュタインらの活躍によって阻止され、死亡。第37巻

スプリンガー
コカツェ(Cokaze)

テラナー
ウェイン・テイト
 惑星ツァリトに駐在するテラ工作員。シク=シクと名づけた旧式の大型迫撃砲を持ち歩く。第62巻。
ウォルト・スクービー(Walt Scoobey)
ガンター・チェリッシュ
 太陽系帝国将校。グレイ・ビーストに流されたミュロンたちを影から援助するために流刑囚のふりをして潜入していた。
クライド・オスタル(Clyde Ostal)
トマス・カーディフ
 ローダンとトーラの息子。2020年生まれ。出生の秘密を隠して育てられた。トーラが殺されると、ローダンが老いた母を死に追いやったものと考え、反乱を起こす。ローダンとすり変わって帝国の実権を握るが、ローダン専用に調整された細胞活性装置を付けたため副作用を起こし、狂死する。
ホレース・O・ミュロン
惑星グレイ・ビーストに流された流刑囚。元真正民主主義同盟メンバーだったが、ローダンの暗殺に失敗して流刑に処された。のちにローダンに指導者の素質を認められ、同星に築かれた植民地のリーダーとなる。
マルセル・ルゥ
 太陽系艦隊少尉。レンズ・フィールド・ジェネレーターを開発、ドルーフ宇宙への突入に成功する。のちにハデス基地司令となる。
ミクロ ノミネー トップ ミゼラブ パビリ フルセッセ 南瓜 シナプス ブーツ ドミニ しんちょ じょうへん ビデア ころどこ ノーシード ククル シューズ ピリミジン レーシズム オーバ モチノキ ジョーンズ ティマイオ サファリジ ウイグル ストリ サーチ バーボ ダイパーズ 勿忘草 サイドス るじゅつ テキサス デビル ゴジラ しいたけ リスト きびざけ にしき パンハ ミラクル ジオラマ オートマト テディー ヒメウ シャツラ サニー ルーム フランベ 湾岸

ドルーフ
オノト(Onot)
リニアエンジンを開発した科学者。エルンスト・エラートの精神と共生する。

ミュータント
グレゴール・トロプノフ(Gregor Tropnow)
 ヒュプノ。細胞シャワーを受けられなかったのをうらみ、ノモ・ヤトゥヒンと組んで脱走し、ロボット摂政に情報を売ろうとした。第28巻。
サミュエル・ゴルトシュタイン(Samuel Goldstein)
 テレパス。分子変形能力者のマタールと対峙した。第37巻。
ヨースト・クルマン
 眼球の焦点を自由に変え、微小なものを見ることができるマイクロオプティカー。顕微鏡的視力をもつスヴォーン人とのコンタクトにあたった。第31巻。
ローリー・マルテン
 2017年に生まれる。アンネ・スローンとラルフ・マルテンの娘。のちに細胞活性装置保持者となる。テレパシーのほかに、物質をすり抜けることが可能。2436年、アコンのスパイに射殺される

2009年02月10日

日本建築史

江戸時代から建築に対する有職故実的な研究は行われていたが、学問として成立するのは明治時代以降である(建築という用語自体、明治時代に造られたもの)。最初期の日本人建築家辰野金吾はロンドン留学の際に「日本の建築にはどのような歴史があるか」と聞かれて何も答えられず、自国の建築史研究の必要を感じたという。辰野の教え子、伊東忠太は法隆寺が日本最古の建築であることを学問的に論じ、ここに日本建築史が第一歩を記した。1900年(明治33年)、パリ万博に際して岡倉天心を中心に『稿本日本帝国美術略史』が刊行されたが、建築の部門を任された伊東忠太は天心の美術史区分に大きな影響を受け、建築史の大枠を築いた。当時、廃仏毀釈で大きな打撃を受けた寺院建築の保護が課題となっており、関野貞は奈良・京都の主な建築を調査し、それらの建築年代をまとめていった。また、建築史学者と歴史家の間に法隆寺の建設年代に関する論争(法隆寺再建・非再建論争)が起こったが、現存する建物の様式論や、六国史などの文献研究はもとより、遺構調査など考古学の発掘成果も取り入れられるようになって、学問の深化が見られた。
イタ飯 タップ ナビトーチ レザー ひなづる メンド オラト 若き獅子 スイセン お山 シャシー フェタミン ブルージー ハリファ シンガ マニュ チリ バカンス スタバ ピアプ プラス シュード チェス シャトル ブレン プライス ビング 風神雷神 パライパ リンプ フォッ サラバード トシン バンド チロル もうげつ ラザニ ルサロ もみがら プルーフ アップ セクター ハーベ ローション インター ザクロ ブロカ ジェラー モルダビア ファー

日本建築史の扱う範囲
第2次世界大戦前までは古代・中世の社寺建築が研究の中心であったが、第二次世界大戦後は民家、江戸時代の社寺、明治以降の近代建築と次第に対象が広がっている(明治以降、旧植民地に日本人建築家の残した作品も対象になっている)。身近な街の古い建物にも関心が高まっており、例えば道端の祠のようなものでも、地域の歴史を物語るものとして評価されることがある。

日本建築の位置付けと特色
日本建築は朝鮮半島・中国からの影響を受けて発展してきた。また近代以降は西欧の影響を強く受けているが、日本の風土・文化に合わせた独自な展開も見られる。

柱・梁を基本構造とする日本建築と、煉瓦や石で壁を築いてゆく西洋建築は対照的な存在であり、20世紀のモダニズムの時代になると、近代建築の理念を先取りした点があるとして注目されるようになった。

原始
三内丸山遺跡
登呂遺跡
吉野ヶ里遺跡
発掘成果に基づき、復元されるものも多くなっている。縄文時代の遺跡である三内丸山遺跡からは予想以上に高度な建築技術を持っていたことがうかがえる。

古代建築
法隆寺 西院伽藍

東大寺法華堂(三月堂)

平等院鳳凰堂
飛鳥様式
四天王寺、法隆寺、法起寺、法輪寺
白鳳様式
薬師寺東塔
奈良時代
東大寺(法華堂、転害門など)、正倉院正倉、唐招提寺(金堂、講堂など)、法隆寺(夢殿など)
平安時代前期
室生寺金堂、醍醐寺五重塔など
平安時代後期
阿弥陀堂 - 平等院鳳凰堂、中尊寺金色堂、白水阿弥陀堂、富貴寺大堂
寝殿造
飛鳥・奈良時代は、朝鮮半島や中国から建築技術を取り入れた時期である。仏教公伝(538年)以降、日本でも寺院建築が建てられるようになった。記録では577年に仏工・造寺工が百済から招かれた。588年から609年にかけて蘇我氏が築いた飛鳥寺(奈良県高市郡明日香村。法興寺、元興寺とも)や593年聖徳太子創建とされる摂津国の四天王寺(大阪府大阪市天王寺区。天王寺)が、日本最古の伽藍とされる(いずれも当初の建物は現存しない)。現存するものとしては法隆寺の西院伽藍、法起寺三重塔(ともに奈良県生駒郡斑鳩町)が最古のものである。法隆寺西院伽藍は、かつては聖徳太子の時代の建築と信じられていたが、近代における研究の進展の結果、670年の火災以後、7世紀末から8世紀初めの再建と考えられている。法起寺三重塔は8世紀初めの建築である。当時の伽藍配置や技法には、百済の寺院との共通性が指摘されている。遣隋使・遣唐使の時代になると、中国の建築様式の影響が強くなった。

平安時代、国風文化の時代になると建築様式も日本化し、柱を細く、天井を低めにした穏やかな空間が好まれるようになった。平安時代以降には日本独自の形態として発展し、この建築様式を和様と呼ぶ。

中世建築
東大寺南大門

慈照寺銀閣
鎌倉時代
東大寺の復興と浄土寺建立(大仏様あるいは天竺様、俊乗坊重源)
禅宗様(唐様)(禅宗仏殿) - 功山寺仏殿、善福院釈迦堂など
(俗に)武家造
室町時代
鹿苑寺金閣(寝殿造+禅宗)、慈照寺銀閣(書院造+禅宗仏殿)
主殿造
鎌倉時代に入ると、中国との交易が活発になったことで、再び中国の建築様式が伝えられた。まず入ってきたのは東大寺再興の際に用いられた様式である(大仏様あるいは天竺様)。

天平時代に建設された東大寺大仏殿は平安時代末期の源平の争乱の中、焼失した。俊乗坊重源は幾多の困難を克服して大仏を鋳造し、1185年、開眼供養。1195年、大仏殿を再建。1203年に総供養を行った(東大寺盧舎那仏像を参照)。

重源が再建した大仏殿などの建築様式は非常に独特なもので、当時の中国(宋)の福建省周辺の建築様式に通じるといわれている。

その建築様式は合理的な構造、豪放な意匠で大仏殿にはふさわしいものであったが、日本人の好む穏やかな空間とは相容れない面もあり、重源が死去すると大仏様も衰えた。大仏殿再建に関わった職人は各地へ移り、大仏様の影響を受けた和様も生まれ、これを折衷様と呼ぶ。

その後、禅僧が活発に往来し、中国の寺院建築様式が伝えられた。これは禅宗寺院の仏堂に多く用いられている(禅宗様あるいは唐様)。

近世建築
姫路城天守群(安土桃山時代)

東大寺二月堂(江戸時代初期)
安土桃山時代
城郭、書院造の完成 - 姫路城、彦根城、松本城、犬山城など
茶室
文化史上、室町幕府が滅亡した1573年から、豊臣家が滅亡した1615年までを桃山時代とすることが多い。天下統一の時期にふさわしく、城郭建築が発達し、権力のシンボル的な天守閣が築かれ、御殿は華麗な障壁画で装飾された。また、室町時代に始まった茶の湯は千利休によって大成され、茶室というジャンルが生まれた。

江戸時代
数寄屋造り
霊廟建築 - 日光東照宮など
寺院建築 - 東大寺二月堂など
宿場町等にみられる町家建築
民家
江戸時代は全般に庶民文化の栄えた時代であるが、建築でも世俗化の傾向が顕著に見られる。茶室を住宅に取り入れた数寄屋造りや、都市の娯楽施設である劇場建築・遊廓の建築などがその例である。また、民家も一部は書院造の要素も取り入れ、次第に発展していった。寺院建築の中でも、庶民信仰を背景に、善光寺・浅草寺など大多数の信者を収容する大規模な本堂が造られるようになった。

近世建築関連人物一覧
長船綱直
小瀬甫庵
織田信長
加藤清正
黒田如水
小堀政一
角倉了以
高山右近
藤堂高虎
徳川家康
丹羽長秀
松倉重政
安井道頓
山本勘助
淀屋常安

近代建築
異人館/神戸市風見鶏の館
西洋館・異人館 - 北野町山本通、銀座煉瓦街など
擬洋風建築 - 開智学校、龍谷大学講堂、白雲館など
建築家の誕生 - ジョサイア・コンドル、辰野金吾など
歴史主義建築
分離派建築会
モダニズム建築
幕末に居留地が開かれると、外国人の住居、商館、教会などが建てられるようになった。グラバー邸は長崎の高台に築かれ、グラバーの指示に従って日本人が建設したものだが、来日した外国人技師によるものも見られるようになった。これら居留地の建築に刺激を受けた棟梁たちが明治初期にかけて各地に見よう見まねの洋館を建てた(擬洋風建築)。

明治初頭、日本政府は近代化に必要な都市を築くため、西洋建築の技術を得ようと躍起になっていた。お雇い外国人として、ウォートルスやコンドルが招かれた。コンドルは工部大学校で日本人建築家の育成に努め、「日本建築界の父」ともいわれる。教え子の第1期生が辰野金吾である。

政府による官庁集中計画が立てられると、専門家育成が必要になり、ヨーロッパの中でも日本がめざすべき先進国と考えられたドイツ政府に指導的人物を打診した。ヘルマン・エンデ(Hermann Ende)とヴィルヘルム・ベックマン(Wilhelm Boeckmann)の共同設計事務所(エンデ・ベックマン事務所)が担当することになり、エンデとベックマンらが来日した。彼らは近代国家建設に要する技術習得のために日本人のドイツ留学を時の日本政府に進言し、政府は建築技師として妻木頼黄・渡辺譲・河合浩蔵の3人、石工・大工・人造石左官・煉瓦職・ペンキ職・屋根職・石膏職の高等職人17人で構成された総勢20人の青年をドイツに留学・派遣した。3年の留学の後、知識と技術を得た彼らのうち数人は後に現東京工業大学の第1期卒業生となり、ある者は美術家となるが、彼らの多くは日本国内の建築分野で活躍した。ほか特記事項として、ロンドン大学に留学した桜井小太郎が1892年(明治25年)に日本人初の英国公認建築士の資格を得ている。

日本において建築とは、まず近代化のために西洋から学ぶべき技術として捉えられ、芸術・美術と捉える意識は薄くなった。また濃尾地震や関東大震災で煉瓦造建築に大きな被害が生じたことから、日本独自の耐震構造技術への関心が高まった。こうして、建築はもっぱら工学的な学問と考えられる風潮が強まった。この意識は今日まで続いている。

一方、大正中期の1920年に日本初の建築デザイン運動として、堀口捨己・山田守・石本喜久治・森田慶一・瀧澤眞弓等の東京帝国大学建築学科出身者が集まり分離派建築会の活動が始まった。

現代建築
東京都庁舎戦争で大きな打撃を受けた建築界は、戦後復興、高度経済成長の中で活躍の場を見出した。鉄筋コンクリートの使用が一般的になり、各地にモダニズムの公共施設が建設された。地震の多いことが日本の課題の一つであったが、耐震構造技術が進み、かつては百尺(31m)に制限されていた規制も緩和され、超高層建築が建てられるようになった。丹下健三、槇文彦、安藤忠雄など世界的な評価を得る建築家も増え、日本の現代建築のレベルは上昇した。

一方、都市の美観という発想は、大正・昭和初期の建築家の一部に見られたものの、戦時体制・戦後復興の中でほとんど影をひそめてしまった。伝統的な街並みや過去の優れた建造物の多くが戦災や経済発展の中で失われ、経済性・合理性優先の安上がりな建築が多くなり、スクラップアンドビルドが繰り返された。しかし「いつの間に日本の都市はこんなに醜くなったのか」と反省する声[要出典]が大きくなり、重要伝統的建造物群保存地区の選定や景観法の制定など、美しい都市・国土への関心も高まりつつある。

日本建築史の研究者
天沼俊一 - 社寺建築の細部の変遷を詳細に研究した。
伊東忠太 - 日本建築史の第一歩を記した。
稲垣榮三 - 神社の研究を進め、特に伊勢神宮と出雲大社の心御柱に注目する見方を提唱した。
太田博太郎 - 中世建築・民家など幅広く研究を進めた。
関野貞 - 奈良・京都を中心に全国の古建築の調査を行い、文化財保護に尽くした。
長谷川輝雄 - 四天王寺など失われた寺院建築の復元的考察を行った。
林徽因 - 飛鳥時代の日本建築と隋朝の中国建築の比較研究を行った。
藤森照信 - 全国の近代建築を紹介して一般に認知を広め、研究対象を看板建築やアジアの近代建築にも広げた。
堀口捨己 - 茶室を思想的な背景のもとに考察した。
宮上茂隆 - 寺院や、城郭建築を建築史の技法を使って再現の研究を行う。
村松貞次郎 - 日本の近代建築を技術史的に研究した。

2009年01月24日

クエント星を追放された異能者達がクエント

ニュー エイジ メダリスト スポラ ぽち袋 スモーカー ブックレ リピート ハナイカダ チェーン レーター トゥース フェンス 大蔵大根 ろくまい サンパウロ とわだ シロップ たかね トロライト ブッサ ブレー シュノ ゴツコーラ チューブ インソール シルク 黒かぼ 愛宕柿 モーター ローンチ ゲリララ ヒッコリ ピタ最適 リシック サーチ恋路 オクイ パーカ シンクロ パンチャー バリティー ミャン シート フラン アップ ハンマ ティッシモ デトロ 万寿国 ブルー

ワイズマン
声 - 柴田秀勝
かつてクエント星を追放された異能者達がクエントに帰還後、地底深くの原形質保存装置に自らの意志を集合させ意識集合体となった時に名乗った名称。ワイズマンは肉体の無い意志だけの存在となって以降、古代クエント文明の超高度な科学力を背景に1000年以上にわたって銀河各地の文明に干渉し、組織や人材、情報などを操りアストラギウス銀河の歴史を影から操っていった。自らを神と任じ、人類からはその存在を知られる事無く、銀河を二大勢力によって分割統治させ人類に絶え間無い戦争を仕掛けるのであるが、これは自らの後継者の誕生を促すワイズマンの意志でもあった。力への愛ではなくテクノロジーによって神の存在に近づこうとし「神を見失った」ために「マーティアル」から異端として排斥された一派=秘密結社は、このワイズマンの信奉者であった。
詳細はワイズマン (装甲騎兵ボトムズ)を参照

放送リスト
回 サブタイトル 脚本 絵コンテ 演出 作画監督
1 終戦 五武冬史 京春香 加瀬充子 清水恵蔵
塩山紀生
2 ウド 松野達也 知吹愛弓 谷口守泰
3 出会い 川端蓮司 鈴木英二
4 バトリング 高橋良輔 滝沢敏文 谷田部勝義 神宮慧
5 罠 五武冬史 加瀬充子 上村英司
6 素体 滝沢敏文 知吹愛弓 西城明
7 襲撃 吉川惣司 川端蓮司 谷沢豊
新田敏夫
8 取引 鳥海尽三 谷田部勝義 鈴木英二
9 救出 滝沢敏文 加瀬充子 谷口守泰
10 レッド・ショルダー 吉川惣司 知吹愛弓 鈴木英二
塩山紀生
11 逆襲 吉田浩 桐野克也 西城明
12 絆 鳥海尽三 川端蓮司 神宮慧
13 脱出 滝沢敏文 川端蓮司 鈴木英二
塩山紀生
14 アッセンブルEX-10 吉川惣司 松野達也 加瀬充子 谷口守泰
15 疑惑 吉田浩 桐野克也 西城明
16 掃討 鳥海尽三 知吹愛弓 鈴木英二
17 再会 高橋資祐 川端蓮司 神宮慧
18 急変 吉川惣司 滝沢敏文 加瀬充子 上村英司
塩山紀生
19 思惑 康村正一 西城明
20 フィアナ
(ウド編の総集編) 五武冬史
吉川惣司
鳥海尽三 高橋良輔 塩山紀生
21 溯行 鳥海尽三 谷田部勝義 鈴木英二
塩山紀生
22 触発 池田成 桐野克也 谷口守泰
23 錯綜 吉川惣司 知吹愛弓 神宮慧
24 横断 鳥海尽三 富沢雄三 川端蓮司 西城明
25 潜入 吉川惣司 加瀬充子 上村英司
26 肉迫 谷田部勝義 鈴木英二
27 暗転 滝沢敏文 知吹愛弓 塩山紀生
28 運命
(ウド編の総集編) 五武冬史
吉川惣司
鳥海尽三 高橋良輔 塩山紀生
29 二人 五武冬史 池田成 川端蓮司 谷口守泰
30 幻影 滝沢敏文 津田義三 西城明
31 不可侵宙域 鳥海尽三 池田成 加瀬充子 鈴木英二
32 イプシロン 知吹愛弓 上村英司
塩山紀生
33 対決 吉川惣司 滝沢敏文 谷田部勝義 谷口守泰
34 惑星サンサ 池田成 川端蓮司 西城明
35 死線 五武冬史 滝沢敏文 津田義三 鈴木英二
36 恩讐 高橋資祐 康村正一 上村栄司
塩山紀生
37 虜 鳥海尽三 知吹愛弓 鈴木英二
38 暗闇 滝沢敏文 加瀬充子 西城明
39 パーフェクト・ソルジャー 池田成 谷田部勝義 谷口守泰
40 仲間
(サンサ編の総集編) 五武冬史
吉川惣司
鳥海尽三 高橋良輔 塩山紀生
41 クエント 吉川惣司 谷田部勝義 川端蓮司 八幡正
塩山紀生
42 砂漠 津田義三 鈴木英二
43 遺産 知吹愛弓
44 禁断 五武冬史 加瀬充子 西城明
45 遭遇 滝沢敏文 谷田部勝義 鈴木英二
46 予感 鳥海尽三 池田成 川端蓮司 谷口守泰
47 異変 津田義三 鈴木英二
48 後継者 知吹愛弓 西城明
49 異能者 吉川惣司 康村正一 八幡正
50 乱雲 谷田部勝義 鈴木英二
塩山紀生
51 修羅 滝沢敏文 川端蓮司 鈴木英二
52 流星 加瀬充子 谷口守泰

※第52話(最終回)には、塩山紀生が作画監修としてクレジットされている。

主題歌・挿入歌
オープニング:「炎のさだめ」作詞:高橋良輔 作・編曲:乾裕樹 唄:TETSU
エンディング:「いつもあなたが」作詞:高橋良輔 作・編曲:乾裕樹 唄:TETSU
主題歌を担当した覆面歌手・TETSUの正体は、後に1990年代のヒット曲の仕掛け人となったシンガーソングライター・織田哲郎である。織田が自身の公式サイト内の日記(2001年6月7日付)で読者からのメール等に応えて明らかにした所によれば、ボトムズ放映の頃、まだデビューするかしないかの駆け出しだった彼は、アルバイトとして覆面歌手として曲を吹き込むことも多かったという。この作品についても当時お世話になっていた人の求めに応じて歌った(ただしこの時は既にデビューしていたので、レコード会社の契約の都合上名前を変えて欲しいと依頼した)ものであり、彼が数多く担当したそういった事情の歌の中でも最も有名なものである。
いずれも高橋良輔が作詞を担当。今でもカラオケでファンによく歌われるなど親しまれている曲だけあって、「酒代に困った頃に作詞印税が入ってきて助かってます」と冗談交じりに語っている。
挿入歌:「たのまれグッバイ」作詞:高橋良輔 作・編曲:乾裕樹 唄:川浪葉子
挿入歌「たのまれグッバイ」は、テレビ版の「クメン編」において、バーにいたココナが歌っている曲である。レコーディングの際、バーで歌う雰囲気を出せるようココナ役の川浪はお酒を飲まされてレコーディングを行ったという逸話がある。

行進曲
劇中、サンサ編のレッドショルダー関連映像の場面や、『野望のルーツ』の終盤に流れ、ファンの間で『レッドショルダーマーチ』と呼ばれる行進曲は、サントラ盤に収録されていなかった。その理由と正体について「BGMを録音する際に高橋良輔が昔どこかで聞いて印象に残った曲のメロディを作曲者に伝え、再現したものである」「元の曲の権利者が不明であったため、サントラ盤に収録できない」「フリー素材の曲であった為」など様々な説が流布し、長らく謎のままであった。
その正体は1966年制作のイタリア映画『Due Marines e un Generale』(邦題『二人の水兵と一人の将軍』・バスター・キートン主演。ちなみに彼の最後の出演作である)のサントラの2曲目「Arrivano I Marines」であることが2007年に判明した。作曲はPiero Umiliani。サントラはCDまたはiTunes Storeからのダウンロード販売で2008年現在でも入手が可能。
同じサントラに『機動戦士ガンダム』第12話で使用された曲も含まれており、当時からオリジナル音源自体があったはずである(当時のアニメ誌で、曲に関するスタッフへの質問に対し、「テレビ東京にあった」と返答されている)。他にカップインスタントうどん赤いきつねのCMや、『ボトムズ』が放送される以前の自転車のCM、前作品『太陽の牙ダグラム』のタカラ製プラモデルのCMにも使われた。
この曲はプレイステーション用ソフト『青の騎士ベルゼルガ物語』にもCD-DAで収録され、発売当時ファンの間で密かな話題となった。バトリングをテーマとしたこのゲーム中において選択できる入場テーマの一つで、この曲を選んであるとゲーム中でレッドショルダーにまつわる幾つかのサブイベントが発生する様になっている。なお発売当時の雑誌インタビューにおいて、開発スタッフが音源を探し回った末テレビ東京のライブラリーにたどり着き、そこから収録した事を明かしている。このソフトの14トラック目に収録されているが、「Arrivano I Marines」の原曲とは明らかに違い、本編の放送内容を元に製作側が耳コピーして再現した曲と思われる。

2009年01月17日

ロードス島戦記 灰色の魔女

ロードス島戦記 灰色の魔女(1988年4月 / 角川スニーカー文庫 / 水野良、イラスト:出渕裕)
ロードス島戦記2 炎の魔神(1989年2月 / 同上)
ロードス島戦記3 火竜山の魔竜(上)(1990年2月 / 同上)
ロードス島戦記4 火竜山の魔竜(下)(1990年7月 / 同上)
ロードス島戦記5 王たちの聖戦(1991年2月 / 同上)
ロードス島戦記6 ロードスの聖騎士(上)(1991年11月 / 同上)
ロードス島戦記7 ロードスの聖騎士(下)(1993年4月 / 同上)
ハイエルフの森 ディードリット物語(1995年3月 / 同上)
ステンレス トマホーク バスク ダンプカー スポード プラーク スタミナ メード オーダー ケーブル 浮き桟 ミシガン マイカ トレビ レーン ベニトアイト リップ シェフ コムサット スプラ チオノ タイト サフー ナウシカ パラレル マッカー しらさぎ ミュージア カフェオ バート ベリー レガシー きくすい ジェジェ ダイオプ チャツ フレンチキ ソフト トラコーマ アンデス スエズ 五節の舞姫 ギョーザ ステミン イバル オード ラップ ローマ フェルミ ヘマタ

黒衣の騎士
ハードカバー(1995年7月 / カドカワノベルズ / イラスト:出渕裕)
文庫(1998年10月 / 角川スニーカー文庫 / イラスト:夏元雅人)
イラストと後書きが変更されている。

テーブルトークRPG ルールブック
ロードス島戦記コンパニオンシリーズ
ロードス島戦記 コンパニオン(1989年8月 / コンプコレクション)
ロードス島戦記 コンパニオン2(1991年5月 / 同上)
ロードス島戦記 コンパニオン3(1994年4月 / 同上)
ロードス島RPGシリーズ
ロードス島RPG ベーシックルール(1995年9月 / 角川スニーカーG文庫)
ロードス島RPG エキスパートルール(1996年6月 / 同上)
ソード・ワールドRPG ロードス島ワールドガイド(1998年12月 / 富士見書房)
ロードス島オリジナルのシステムではなくソード・ワールドRPGのルール上でロードス島戦記の物語を表現するための資料集。ソード・ワールド準拠で表記された各種データの他に、ソード・ワールドのルールを逸脱したロードス島の英雄たちの活躍を再現する「超英雄ポイント」ルールが掲載されている。

サプリメント
ロードス島戦記ハンドブック1(1992年8月 / BNN)
ロードス島戦記ハンドブック2(1992年9月 / 同上)
ロードス島RPG シナリオ集 出発の刻(1995年11月 / 角川スニーカーG文庫)

RPGリプレイ
雑誌掲載(掲載後、書籍などに収録されていないもの)
コンプティーク誌上連載記事 D&D誌上ライブ
D&D誌上ライブ・ロードス島戦記リプレイ第1部
(作:安田均とグループSNE / 絵:出渕裕)
1986年9月号~1987年4月号に8回に渡って連載された。パーン達の旅立ちから始まり、ドワーフの大トンネルを抜けてウォートに会い、これからマーモとヴァリスの決戦場に向かう所で終了している。
D&D誌上ライブ・ロードス島戦記リプレイ第2部
1987年6月号~1988年7月号に14回に渡って連載。
コンプRPG
ロードス島戦記RPGのシナリオやリプレイなどが掲載。5つの「太守の秘宝」と対になる「裏太守の秘宝」が登場するリプレイが掲載されたこともあった。
誌上連載記事 灰色の勇者(未刊行)
(1995年10月号~1996年8月号連載 / グループSNE / 絵:さいとうつかさ)
ロードスの平和に為にと、ある人物(直接的にカーラの名は登場しなかった)に集められた一行。集められた5人パーティーの中の女精霊使いはダークエルフでありながら珍しく純粋な性格で、どこにでも闇の森を繁殖させられる特別な力を持ったダークエルフの巫女であった。その力を巡って冒険が行われる。
サルバーンの魔導書
暗黒のプレリュード
魔石の封印
暗殺の魔手
亡者の衣
銀嶺の神殿
TRPGリプレイ単行本(ロードス島RPGルールに則ってコンプティーク誌で連載されたのは第3部だけで、D&Dルールで連載された第1部と第2部は小説版刊行後にルールを替えてプレイしなおしたものが単行本書下ろしで発表された)
ロードス島戦記1(1989年9月 / 角川スニーカー文庫(後に角川スニーカーG文庫)、富士見ドラゴンブックより新装版となり再版)
ロードス島戦記2(1990年9月 / 同上)
ロードス島を舞台にロードス島戦記第1部のPCでT&Tをプレイしたリプレイ「帰らずの森のフェアリー」(日本版「ウォーロック」14号に掲載されたもの)も収録。
ロードス島戦記3(1991年8月 / 同上)
ナニール復活とレイリア誕生を描くロードス島戦記RPG用シナリオ「第五の封印」も収録。

コミック
ロードス島戦記 灰色の魔女全3巻 作画/越智善彦(角川コミックスエース)
ロードス島戦記 炎の魔神全2巻 作画/齋藤亜弓(角川書店 ドラゴンコミックス)
ロードス島戦記 -英雄騎士伝-全6巻 漫画/夏元雅人(角川コミックスエース)
ロードス島戦記 ディードリット物語全2巻 画/よねやませつこ(あすかコミックスDX)

カードゲーム
ロードス島戦記 カードゲームコレクション(1996年1月 / コンプコレクションスペシャル)