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屯田兵を中心とした臨時第七師団の編制が命じられると

日清戦争では、動員されて東京で編成を終えたところで講和を迎えた。

戦争開始後、屯田兵は後備兵とともにはじめ国内に残留した。明治29年(1895年)3月4日、屯田兵を中心とした臨時第七師団の編制が命じられると、全兵力が出動した。まず小樽に集結し、4月に汽船で青森に渡り、そこから汽車で東京に行き、22日に充員を完了し、30日に第一軍に編入された。しかし講和交渉がはじまったため戦地に赴くことなく、5月15日に復員命令を受けた。6月に北海道に帰り、6月22日に臨時第七師団は解散した。


日露戦争 [編集]
日露戦争で、屯田兵は第七師団に後備兵として配属され、旅順と奉天で激戦を潜り抜けた。戦争中に屯田兵は廃止されたが、そのまま従軍し、戦争終了によって免役となった。
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明治37年(1904年)2月に日露戦争がはじまったとき、屯田兵はすべて現役を退き、後備兵になる間際であった。旭川に本部をおく第七師団は、ロシアの出方をうかがう意味もあって、当座は動員をかけなかった。

8月4日に動員が命令され、充員のため屯田兵も召集された。8月17日に野戦第七師団が完了し、大迫尚敏中将が師団長となった。第七師団は、他の師団と異なり、各連隊に約1個小隊の乗馬歩兵を配属し、伝令などに当たらせる編成をとった。この乗馬歩兵は屯田兵から選ばれた。北海道には10月26日に留守第七師団がおかれ、訓練と補充に当った。

10月21日から輸送が開始され、11月に大連に集結、乃木希典の指揮する第三軍に属した。そのまま旅順攻囲戦に参加し、攻略の一翼を担って莫大な損害を出した。旅順陥落後は、奉天会戦に参加した。講和交渉開始の翌年、明治39年(1906年)3月に日本に帰着した。

第七師団全体の損害は、死者3142人、負傷8222人に及んだ(屯田兵だけの損害ではない)。

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2009年06月02日 08:12に投稿されたエントリーのページです。

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