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      <title>白馬のブログ</title>
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      <description></description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2009</copyright>
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            <item>
         <title>黄金の自由</title>
         <description><![CDATA[黄金の自由（ラテン語: Aurea Libertas）、貴族共和国または貴族民主主義は、ポーランド王国およびルブリン合同（1569年）後のポーランド・リトアニア共和国（一般に「ポーランド」と呼ばれる）において機能した、貴族支配による民主主義の政治システム。このシステムの下では、領地を有する全ての貴族（シュラフタ）が法的に平等であり、きわめて多くの諸特権を享受していた。この特権に基づき、貴族階級は立法府であるセイム（ポーランド議会）を支配し、国王を選挙によって選出していた（選挙王政）。

この政治体制は、貴族身分（シュラフタ）が都市民・商工業者（ブルジョワジー）や法曹など他の諸身分と国王を政治の場から排除したことにより強固なものとされた。シュラフタはニヒル・ノヴィ（1505年）、ヘンリク条項（1573年）、そしてその後に結ばれた数多くのパクタ・コンヴェンタ（選出時における国王と貴族との契約）を通じて諸特権を集積してゆき、君主が彼らの特権に手出しする事は許されなかった。この連合共和国家における政治原則とは「我々の国家は国王の監督のもとにある共和国である」というものだった。宰相ヤン・ザモイスキはこの原則を「国王は君臨すれども統治せず "Rex regnat et non gubernat" 」と要約している。
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国家の頂点にあるのは選挙で選ばれる国王、上院、そして飛びぬけた権力を備えたセイムの三者であった。国王にはヘンリク条項と選出時に取り決められるパクタ・コンヴェンタによって、市民（つまりシュラフタ）の権利を尊重することが義務づけられていた。国王は大勢の貴族層の意向により、その権力をかなり制限されていた。歴代の国王は、ポーランドの政治システムの根幹（そしておよそ確立されているとは言い難い宗教的寛容の根幹）をなすと見なされた、ヘンリク条項を承認することを余儀なくされた。やがてヘンリク条項はパクタ・コンヴェンタの中に組み込まれ、国王選出に際しての重要な誓約の一つになった。]]></description>
         <link>http://bgi.dcbbqm.info/2009/12/post_80.html</link>
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         <pubDate>Wed, 09 Dec 2009 02:58:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>1966年にフジテレビで放送されていた</title>
         <description><![CDATA[1966年にフジテレビで放送されていた、渥美清の連続テレビドラマ『おもろい夫婦』が大ヒットした。これをきっかけに、昭和40年代の同局では、渥美の連続ドラマが毎年のように放送されていた。本作は、フジの渥美ドラマ第3作にあたる。

制作は、フジテレビと高島事務所（当時の渥美が所属していた芸能事務所）。テレビ版は松竹の制作ではない。企画と演出はフジテレビ制作部のディレクター兼プロデューサー（当時）の小林俊一。同局の編成部では白川文造が係わった。

企画段階でのタイトルは『愚兄賢妹』という番組名だったが、フジテレビの営業から「愚兄賢妹では堅苦しくて番組として売り難い」と言われたため、タイトルを変更することになる。そして、北島三郎が唄っていた『意地のすじがね』の中にあった「つらいもんだぜ男とは」という歌詞をヒントに、小林俊一が『男はつらいよ』と命名した。山田は当時、この変更を快く思っていなかった。
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他にも、同時期にTBS系列で放映されていた渥美清主演のテレビ映画『泣いてたまるか』の、最終回のタイトルが「男はつらい」であり、この回の脚本を山田洋次が書いていたことも決め手となった。タイトル変更の経緯から、『意地のすじがね』の作詞者でもあった星野哲郎に、主題歌の作詞が依頼されることになる。

船山馨原作のベストセラー小説をドラマ化した『石狩平野』が不調で、1年の放送期間が半年に短縮された。これにより、秋の番組編成に穴が空いてしまったため、本作の放送時間が木曜夜10時となる。今でこそ木曜夜10時はフジの独壇場だが、当時のこの時間帯は他局が圧倒しており、苦戦のフジは同局の渥美ドラマの人気で打破したい思惑もあった。]]></description>
         <link>http://bgi.dcbbqm.info/2009/11/1966.html</link>
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         <pubDate>Mon, 30 Nov 2009 01:09:39 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>舞台装置</title>
         <description><![CDATA[1970年まであった「人形町末廣」を参考に、「昔ながらの寄席の高座をスタジオに再現したい」というコンセプトでデザインされている。部分的な手直しは何度か行われたが、「金曜夜席」の放送開始時から基本的なところは変わっていない。

最近では2002年に手直しされ、柱や欄間など木目の露出している部分がそれまでのダークブラウンからライトブラウンの色目に変わり、舞台全体が明るい印象になっている。

舞台奥の襖は4枚あり、後楽園ホールでの収録時と地方収録時では絵柄が異なる。

後楽園ホールでは、絵柄が表裏で異なる回転式の襖が使用されており、演芸コーナーと大喜利で襖の絵柄が変わる。演芸コーナーでは主張の強い大胆な襖絵になり（現在の絵柄は2009年3月22日放送分から使用）、大喜利では、カメラでメンバーを映す時に邪魔にならないような青を主体とした柄が採用されている（当初は1年〜2年で手直しされていたが、5代目圓楽時代から、長期間使用されるようになり、現在の柄は2001年から使用）。 
地方収録時はその地方の特産品や名所を描いた襖絵となり、演芸コーナーも大喜利も同じ絵柄となる。4枚それぞれに異なる絵が描かれることもあれば、4枚で続き絵になることもある。 
舞台の上の提灯には当初、大喜利メンバーの定紋を入れていたが1969年から現在のように名前を書くようになった。（ただし、その後も特番の時などに紋の入った提灯が下げられたことがある）赤地に白文字の提灯は放送当初から変わっていない。なお、名前の表記は司会者と大喜利メンバーは下の名前のみ（前田は「前武」）、座布団運びはフルネーム（毒蝮は上の名前のみ）となっている。また、代理出演者は提灯に名前がないケースもある。
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なお、出演者や裏方たちは原則として上手から入退場するので下手側は通常襖で閉められているが、対抗戦形式の大喜利が行われる時などは下手側の襖も開いて下手から入退場するケースもある。この下手側の襖は元々大喜利メンバーの後ろにある襖と同じ色のものを使っていたが、2002年のリニューアルの際に白地に緑の「笑」の文字が入った襖に変わっている（スペシャル版では、微妙な手直しが施されているが、それ以前から使われている）。]]></description>
         <link>http://bgi.dcbbqm.info/2009/11/post_79.html</link>
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         <pubDate>Thu, 26 Nov 2009 01:38:32 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>韓国系企業の海外進出などによって</title>
         <description><![CDATA[飛躍的な経済発展、韓国系企業の海外進出などによって韓国の国際的地位は以前に比べ高まったが、韓国は大国の中国や日本に挟まれているため、欧米における韓国という国家のイメージやその知名度は他の2国に比べ高いとはいえない。韓国国民が先進国の国民であるというプライドを持つようになった一方で、欧米人が持つ韓国人に対してのイメージが低いことが矛盾を引き起こしており、それが韓国起源説に代表される独特のナショナリズムを加速させているとも言える。

日本語講師の中岡龍馬は、近年、韓国でエスノセントリズム・韓民族優越主義（かんみんぞくゆうえつしゅぎ）が台頭しつつあると主張し、これを朝鮮語で「我が国」を表す「ウリナラ」から、俗に「ウリナライズム（またはウリナリズム）」と呼んでいる。この思想を持つ者は「韓民族は歴史や文化や能力等で周辺諸民族よりも優れている」と主張している。
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韓国では長い間、冊封体制下で中国の歴代王朝に事大の礼を尽くしていたこともあり、中国文明の精果の影響を濃厚に受けており、中国諸王朝や文化の影響のもとに独自の文化を発達させてきた。ところが現代において海外で評価の高い主に日本や中国の事物を韓国が起源と主張する論調をしばしばとることがあり[7]、極端なものでは明らかに日本や中国で醸成された文化や文物と検証されている著名な歴史的事物や人物を、韓民族（韓半島）起源のものであると主張することがある。]]></description>
         <link>http://bgi.dcbbqm.info/2009/11/post_77.html</link>
         <guid>http://bgi.dcbbqm.info/2009/11/post_77.html</guid>
        
        
         <pubDate>Wed, 11 Nov 2009 01:08:41 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>韓国系企業の海外進出などによって</title>
         <description><![CDATA[飛躍的な経済発展、韓国系企業の海外進出などによって韓国の国際的地位は以前に比べ高まったが、韓国は大国の中国や日本に挟まれているため、欧米における韓国という国家のイメージやその知名度は他の2国に比べ高いとはいえない。韓国国民が先進国の国民であるというプライドを持つようになった一方で、欧米人が持つ韓国人に対してのイメージが低いことが矛盾を引き起こしており、それが韓国起源説に代表される独特のナショナリズムを加速させているとも言える。

日本語講師の中岡龍馬は、近年、韓国でエスノセントリズム・韓民族優越主義（かんみんぞくゆうえつしゅぎ）が台頭しつつあると主張し、これを朝鮮語で「我が国」を表す「ウリナラ」から、俗に「ウリナライズム（またはウリナリズム）」と呼んでいる。この思想を持つ者は「韓民族は歴史や文化や能力等で周辺諸民族よりも優れている」と主張している。
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         <link>http://bgi.dcbbqm.info/2009/11/post_78.html</link>
         <guid>http://bgi.dcbbqm.info/2009/11/post_78.html</guid>
        
        
         <pubDate>Wed, 11 Nov 2009 01:08:41 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>エネルギーをめぐる経済的社会的環境の変化にかんがみ</title>
         <description><![CDATA[法の改正 
エネルギーをめぐる経済的社会的環境の変化にかんがみ、一層のエネルギーの使用の合理化により燃料資源の有効な利用を確保するため、「エネルギーの使用の合理化に関する法律の一部を改正する法律（平成20年5月30日法律第47号）」が公布された。「住宅・建築物分野の対策の強化」については、2009年（平成21年）4月1日に施行され、「エネルギー管理の工場単位から事業者単位への変更」については、2010年（平成22年）4月1日から施行される。

住宅・建築物分野の対策の強化 
住宅・建築物分野の対策の強化を図るため、大規模な住宅・建築物の建築主に対する従来の指示・公表のほか新たに命令規定を導入すること、一定の中小規模の住宅・建築物も届出義務の対象とすること、住宅事業建築主が新築する特定住宅に係る省エネ性能向上を促す措置および省エネ性能の表示の推進に関すること、登録建築物調査機関および登録講習機関に関する規定が加えられた。

<a href='http://mipkrx.ehpfcf.org/'>ステキな星座</a>
<a href='http://binpmf.ehpfcf.org/'>季節のこよみ</a>
<a href='http://sdgadg.upcebd.biz/'>産業とは！</a>
<a href='http://utxdme.upcebd.biz/'>お茶だ百科</a>
<a href='http://peedak.hppnxp.info/'>安土桃山時代</a>
<a href='http://eyknsu.jxicmj.info/'>アロマの木</a>
<a href='http://jbchaz.jxicmj.info/'>惑星のお話</a>
<a href='http://eadmtc.fhhijf.net/'>秋田の情報</a>
<a href='http://kkjhbj.fhhijf.net/'>循環器事典</a>
<a href='http://iwhhkb.zcbccf.com/'>生命の誕生</a>
<a href='http://tijxap.kcixgh.info/'>日サロ体験</a>
<a href='http://gkfcdj.kcixgh.info/'>牛の生涯</a>
<a href='http://ue4cmw.e-linkdego.com/'>空手道</a>
<a href='http://eckxxat.e-linkdego.com/'>病理学</a>
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<a href='http://hgaskmj.yrsvwq.net/'>クロマトグラフィ</a>
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<a href='http://rkrpxh.mrijfa.com/'>グラフィックデザイン</a>
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エネルギー管理の工場単位から事業者単位への変更 
従来の、一定規模以上の大規模な工場に対する工場単位のエネルギー管理義務制度から、業務・事務部門を含む事業者（企業）単位のエネルギー管理義務制度に変更することとなった。また、一定の要件を満たすフランチャイズチェーンについても、チェーン全体を一事業者として捉え、事業者単位の規制と同様の規制が導入されることとなった。このことによって、コンビニエンスストア等の業務部門についても、本法による省エネルギー対策が講じられることになった。]]></description>
         <link>http://bgi.dcbbqm.info/2009/10/post_76.html</link>
         <guid>http://bgi.dcbbqm.info/2009/10/post_76.html</guid>
        
        
         <pubDate>Fri, 30 Oct 2009 16:17:24 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>越国</title>
         <description><![CDATA[越国（こしのくに）とは、現在の福井県敦賀市から山形県庄内地方の一部に相当する地域を領した、古代の勢力圏である。

日本書紀には一つの地域として越（こし）、（越洲（こしのしま）、高志（こし）、古志（こし）とも呼ばれた）が書かれる。ここでは越国と題しているが、国家の形態を成していたとは必ずしも言えない。

古くから交易や交流などはあったもののヤマト王権の勢力はまだ及ばない日本海側の地域であり、越前・敦賀の氣比神宮から船出し日本海を北上して、能登・羽咋の気多大社を経て、さらに越後・弥彦神社がある弥彦山を右手に見るまでを一つの地域として｢越｣と呼んだ。
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西端は、若狭国と越前国（現在の福井県美浜町と敦賀市）を隔てる関峠と明確に規定されていた。一方、北端は645年大化の改新の頃まで船から弥彦山を見るまでと、漠然としたものだったと考えられる。蝦夷との境界として648年（大化4年）に渟足柵が設けられ｢越｣の北端となり、その後磐舟柵、初期の出羽柵までと次第に北端は伸びていった[2]。越前国守阿倍比羅夫が658年水軍180隻を率いて蝦夷を討ったと伝わるなど、一方の安定した西端と比較し、北端は蝦夷との戦いの辺境であった。]]></description>
         <link>http://bgi.dcbbqm.info/2009/10/post_75.html</link>
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         <pubDate>Tue, 20 Oct 2009 01:33:56 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>単結合についての立体配座</title>
         <description><![CDATA[X-A-B-Yというように原子が結合している単結合A-Bの回りの立体配座について考える。 単結合A-Bについての立体配座は、結合X-Aと結合B-Yの二面角で区別され、以下のように命名されている。

二面角0～30度:シンペリプラナー(synperiplanar:記号sp) 
二面角30～90度:シンクリナル(synclinal:記号sc) 
二面角90～150度:アンチクリナル(anticlinal:記号ac) 
二面角150～180度:アンチペリプラナー(antiperiplanar:記号ap) 
単結合についての立体配座はニューマン投影図で表すことが多い。 二面角が0度、120度の場合、ニューマン投影図で見るとA上の置換基とB上の置換基が重なるので重なり配座あるいはエクリプス配座という。 二面角が60度、180度の場合、A上の置換基とB上の置換基が互い違いになるのでねじれ型配座あるいはスタッガード配座という。 さらに二面角が0度のものはシス配座(cis)またはシン配座(syn)、180度のものはアンチ配座(anti)またはトランス配座(trans)、60度のものはゴーシュ配座(gauche)という。

重なり配座はA上の置換基とB上の置換基が接近しているため立体反発があり、ねじれ型配座よりも不安定である。
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 シクロヘキサン環の立体配座 [編集]
シクロヘキサン環にはいす型とふね型の2つの立体配座が存在する。 いす型配座においてはすべてのC-C結合がねじれ型配座を持つのに対し、ふね型配座においては2本のC-C結合が重なり配座を持つ。 そのためいす型配座の方が安定である。

置換基を持つシクロヘキサンにおいてはいす型配座の立体配座の中でも立体的に大きな置換基がエカトリアル位を占める立体配座が特に安定となる。 これはアキシアル位に大きな置換基があると他のアキシアル位の置換基と立体的な反発を生じるためである。

 孤立電子対を持つ原子の立体反転 [編集]
3つの異なる置換基を持つアミンの窒素原子はsp3混成をしているため、孤立電子対を含めればピラミッド型の構造をとっており不斉中心となる。しかし、これによって生じる1対の光学異性体やジアステレオマーを単離することは通常はできない。これは窒素原子が速やかに立体反転をしており、これらの光学異性体やジアステレオマーが相互変換しているためである。このことを逆手に取れば、平面構造の遷移状態を取ることが不可能な置換基を持つアミンでは、光学異性体やジアステレオマーを単離することが可能である。

非対称なスルホキシドの硫黄原子も同じような構造をしているが、室温付近では立体反転の速度が非常に遅いため、光学異性体やジアステレオマーを単離することが可能である。しかし高温にするとやはりアミンと同じように相互変換が起こるようになる。
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         <link>http://bgi.dcbbqm.info/2009/06/post_74.html</link>
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         <pubDate>Sat, 20 Jun 2009 06:12:47 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>屯田兵を中心とした臨時第七師団の編制が命じられると</title>
         <description><![CDATA[日清戦争では、動員されて東京で編成を終えたところで講和を迎えた。

戦争開始後、屯田兵は後備兵とともにはじめ国内に残留した。明治29年（1895年）3月4日、屯田兵を中心とした臨時第七師団の編制が命じられると、全兵力が出動した。まず小樽に集結し、4月に汽船で青森に渡り、そこから汽車で東京に行き、22日に充員を完了し、30日に第一軍に編入された。しかし講和交渉がはじまったため戦地に赴くことなく、5月15日に復員命令を受けた。6月に北海道に帰り、6月22日に臨時第七師団は解散した。


 日露戦争 [編集]
日露戦争で、屯田兵は第七師団に後備兵として配属され、旅順と奉天で激戦を潜り抜けた。戦争中に屯田兵は廃止されたが、そのまま従軍し、戦争終了によって免役となった。
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明治37年（1904年）2月に日露戦争がはじまったとき、屯田兵はすべて現役を退き、後備兵になる間際であった。旭川に本部をおく第七師団は、ロシアの出方をうかがう意味もあって、当座は動員をかけなかった。

8月4日に動員が命令され、充員のため屯田兵も召集された。8月17日に野戦第七師団が完了し、大迫尚敏中将が師団長となった。第七師団は、他の師団と異なり、各連隊に約1個小隊の乗馬歩兵を配属し、伝令などに当たらせる編成をとった。この乗馬歩兵は屯田兵から選ばれた。北海道には10月26日に留守第七師団がおかれ、訓練と補充に当った。

10月21日から輸送が開始され、11月に大連に集結、乃木希典の指揮する第三軍に属した。そのまま旅順攻囲戦に参加し、攻略の一翼を担って莫大な損害を出した。旅順陥落後は、奉天会戦に参加した。講和交渉開始の翌年、明治39年（1906年）3月に日本に帰着した。

第七師団全体の損害は、死者3142人、負傷8222人に及んだ（屯田兵だけの損害ではない）。

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         <link>http://bgi.dcbbqm.info/2009/06/post_73.html</link>
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         <pubDate>Tue, 02 Jun 2009 08:12:39 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>新羅はかつての百済全土及び</title>
         <description><![CDATA[698年に震国が建国された際に新羅はかつての百済全土及び高句麗の一部を領有すると共に、北進政策を採用して渤海の安定を脅かすようになった。またその渤海は唐と対立しており、唐の脅威を抑え、同時に新羅の北進を牽制するため新羅に接近する政策を採用した。当初は新羅の藩屏と称し、新羅の五品の官職である大阿飡を授位されている。しかしその後渤海と唐の関係が好転するに従い、渤海の新羅に対する依存関係は変質を来たし、大武芸の時代になると高句麗の故地の回収を目標とすることとなり両国関係は緊張、それは721年に新羅が北辺に長城を築城したことに現れている。

渤海と唐が「登州の役」で対立した際、新羅は唐の出兵の求めに応じ渤海を攻撃したが、悪天候に阻まれ新羅軍は大損害を蒙っている。この出来事は新羅の北進政策を抑制すると共に、唐と新羅の対立を政治的に解消させる効果をももたらした。新羅はこの功績により唐から寧海大使の地位を与えられ、浿江以南の高句麗の故地統治を正式に承認させることに成功したが、同時に渤海を牽制する役割をも担うこととなり、渤海と新羅は厳然と対立することとなった。

新羅との対立という状況に際し、渤海は日本と通好することで新羅を背後から牽制することを画策した。安史の乱に際し、渤海は日本と共同して新羅挟撃を計画したが、これは藤原仲麻呂の乱により計画が頓挫したことで、軍事的解決の姿勢を放棄し、以降は政治的解決を模索するようになる。新羅側から790年に一吉飡（7品）の伯魚を、812年に級飡（9品）の崇正を渤海に派遣していることは、政治的な安定を模索した結果であり、新羅道の発展を創出することになる。

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この良好な関係も、大仁秀が即位して渤海の領土拡張を目指すようになると、再び両国の均衡は崩壊することになる。826年には新羅の憲徳王が浿江に300里の長城を築城したことからも情勢の変化を読み取ることができる。

次に両国の関係が好転するのは10世紀の契丹の勃興という外的要因による。渤海は契丹に対抗すべく新羅との和解を図る。しかし当時の新羅は国勢が衰退し、既に後三国の時代に入っており、軍事的に渤海を支援し契丹に対抗する力は無く、そればかりか渤海の苦境に乗じ浿江以北への侵攻を行った。新羅は一面で渤海に従うそぶりを見せ、反面遼に使者を送り方物を献じるとう二面性の外交を展開した。遼が王都の忽汗城を包囲した際には、新羅は渤海に出兵し、更にこの軍功により耶律阿保機により褒賞を受けている。

渤海の存続期間全体を俯瞰するに、渤海と新羅の両国は対立の歴史と捉える事が可能である。

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         <link>http://bgi.dcbbqm.info/2009/04/post_72.html</link>
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         <pubDate>Thu, 30 Apr 2009 07:43:00 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>王商 (蟸吾)</title>
         <description><![CDATA[王 商（おう しょう、? - 紀元前25年）は、前漢の人。字は子威。涿郡蟸吾の人。漢の宣帝の母である王夫人の甥に当たる。

 略歴 [編集]
威厳のある人となりで体格が良く、極めて優れた容貌であったとされている。

父の王武は宣帝の外戚であることを理由に楽昌侯に封じられた。王商は若くして太子中庶子となり、厳粛で誠実であったことから賞賛された。甘露2年（紀元前52年）に父が死ぬと楽昌侯を継いだ。その際に異母弟に財産を分与し、自分は一切受け取らなかった。大臣はそういった態度が群臣の模範になり、風俗の教化に役立つと言い、王商を近臣にするようにと推薦した。そこで王商は抜擢されて諸曹侍中中郎将となった。

元帝の時、永光3年（紀元前41年）に右将軍となった。また、その頃定陶王劉康が寵愛され皇太子を交代する寸前であったが、王商は皇太子を擁護し、廃位を避けるのに関わった。

皇太子が即位する（成帝）と、王商を大変に重んじ、建始3年（紀元前30年）に左将軍となった。一方で、成帝の伯父である大司馬大将軍王鳳が権力を握っており、王商と王鳳の間は上手くいかなかった。

建始3年秋、長安で民が「洪水が来る」と言って逃げ惑い、長安中がパニックに陥った。成帝が大臣を召し出して議論させると、王鳳は成帝、皇太后らは船に乗り、民や官吏は長安城に登って洪水を避けるべきだと主張し、大臣たちもそれに従った。しかし王商だけはこれは噂に過ぎず、城に登らせるのは民を更に驚かせるだけだと主張し、成帝は王鳳の策を取りやめた。しばらくするとパニックは収まり、事実無根の流言であったことが分かった。成帝はこれにより王商を評価し、王鳳は大いに恥じた。

翌建始4年（紀元前29年）、王商は匡衡に代わって丞相となり、成帝は彼を信任した。

河平4年（紀元前25年）、匈奴単于が来朝した際には、丞相王商を見ておおいに畏れた。それを聞いた成帝は「彼こそ真の丞相である」と言った。

その頃、王鳳が自分の姻族の太守を罷免しないよう王商に請託したが王商は聞かなかったため、王鳳は恨んで王商の醜聞を嗅ぎ付け、人に上奏させた。成帝はかばおうとしたが、王鳳は強く主張して司隷校尉に取調べさせた。左将軍史丹らは王商を詔獄に送るよう上奏した。成帝はなおも王商をかばい却下したが、王鳳が強く主張したため、ついに王商を丞相から罷免することとなった。

王商は罷免されて三日後に病死し、戻侯と諡された[1]。王商の親族で皇帝の近臣になっていた者は皆配置換えされ、皇帝の側仕えをする者は無くなった。

大臣は封邑も取り上げるよう上奏したが、成帝は長男の王安に楽昌侯を継がせた。王安は長楽衛尉、光禄勲となったが、平帝の元始年間に王莽に罪を被せられて自殺し、封国も没収された。

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         <pubDate>Wed, 15 Apr 2009 07:13:29 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>不知火光右衛門</title>
         <description><![CDATA[不知火 光右衛門（しらぬい みつえもん）は大相撲の力士。

最高位は大関。本姓は平野。安永4年（1775年）生、文化元年7月14日（1804年8月19日）没。 
第11代横綱。
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不知火 光右衛門（しらぬい みつえもん（読みはこうえもん説あり）、文政8年（1825年） - 明治12年（1879年）2月24日）とは、財団法人日本相撲協会が認定している第11代横綱である。本名は原野→近久峰松。福岡県山田市（現嘉麻市）出身。身長177cm、体重120kgと伝わる。

2つの横綱土俵入りのうち、雲龍型の考案者であるといわれている。 しかし、不知火と第10代横綱の雲龍久吉の土俵入りが立派であったため後世に名が残されたとの見方もある。（雲龍久吉を参照。）

色白でかなりの美男子であったといわれているが、錦絵は確かにそうだが写真で見ればなぜそうなったのか疑問符がつく。

同郷の先代不知火（諾）の弟子となり、大坂相撲で修行する。のちに江戸へ出て境川門下となる。殿（しんが）り峯五郎の四股名で嘉永3年11月場所に二段目付け出しで初土俵を踏む。肥後細川候のお抱えとなって安政3年11月入幕。翌年に不知火光右衛門と改名。文久2年2月大関昇進。翌年3月に横綱免許を受けた。晩年は古巣の大坂相撲に戻って、下の名を諾右衛門と改めて土俵入りのみを務めた。年寄としての初代不知火である。

現役時の戦績 [編集]
幕内在位 27場所 
幕内成績 119勝35敗15分9預77休、勝率.773。優勝相当成績3回。 
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         <pubDate>Tue, 31 Mar 2009 09:08:21 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>高倉天皇</title>
         <description><![CDATA[高倉天皇（たかくらてんのう、応保元年9月3日（1161年9月23日） - 養和元年1月14日（1181年2月6日）、在位：仁安3年2月19日（1168年3月30日） - 治承4年2月21日（1180年3月18日）、院政1180年）は第80代の天皇。名を憲仁（のりひと）という。

後白河天皇の第7皇子。母、平滋子は清盛の妻平時子の異母妹。皇后は平清盛の娘平徳子（後の建礼門院）。安徳天皇、後鳥羽天皇らの父。


 系図 [編集]
  (77)後白河天皇   (78)二条天皇   (79)六条天皇 
        
        以仁王   某王（北陸宮） 
    
        (80)高倉天皇   (81)安徳天皇 
      
        亮子内親王
（殷富門院）     守貞親王
（後高倉院）   (86)後堀河天皇   (87)四条天皇  
        
        式子内親王     (82)後鳥羽天皇   (83)土御門天皇   (88)後嵯峨天皇   
            
        覲子内親王
（宣陽門院）         (84)順徳天皇   (85)仲恭天皇 
        
                    忠成王（岩倉宮） 
  
略歴 [編集]
政界の実力者・平清盛の義理の甥にあたる事に加えて、当時政治方針を巡って対立した二条天皇によって院政停止状態に置かれていた後白河院の不満から、二条天皇の死後に立てられた六条天皇（二条天皇の子、高倉天皇からみて甥）をわずか3歳で退位させ、天皇として擁立された。政務は父後白河院が院政を敷き、平清盛の孫にあたる安徳天皇に皇位を譲った。治承三年の政変によって後白河院が事実上の幽閉状態に置かれると、自ら院政を開始するが間もなく病に倒れた。後白河院と平氏の圧力に悩まされ続けた天皇とされてきたが、近年の研究では平氏一門と組んで政治を押し進める意図を持っていたとの説も出ている。 色白で美しい容姿であり、その人柄は多くの廷臣から慕われていたという。
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后妃・皇子女 [編集]
中宮：平徳子（建礼門院）（1155-1213） - 平清盛女 
第一皇子：言仁親王（安徳天皇）（1178-1185） 
典侍：藤原殖子（七条院）（1157-1228）- 坊門信隆女 
第二皇子：守貞親王（後高倉院）（1179-1223） - 後堀河天皇実父 
第四皇子：尊成親王（後鳥羽天皇）（1180-1239） 
准三后：近衛通子（1163-?） - 近衛基実女、言仁親王准母 
典侍：堀河豊子（按察典侍） - 堀河頼定女 
第三皇女：潔子内親王（1179-?） - 伊勢斎宮 
掌侍：平範子（少将内侍） - 平義輔女 
第三皇子：惟明親王（1179-1221） 
宮人：藤原公子?（帥局）（?-1179） - 藤原公重女、高倉天皇乳母 
第一皇女：功子内親王（1176-?） - 伊勢斎宮 
宮人：小督局 - 藤原成範女 
第二皇女：範子内親王（坊門院）（1177-1210） - 賀茂斎院、土御門天皇准母 

 在位中の元号 [編集]
仁安 （1166年8月27日） - 1169年4月8日 
嘉応 1169年4月8日 - 1171年4月21日 
承安 1171年4月21日 - 1175年7月28日 
安元 1175年7月28日 - 1177年8月4日 
治承 1177年8月4日 - （1181年7月14日） 
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         <pubDate>Mon, 16 Mar 2009 11:30:35 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>人工惑星ワンダラーを住まいとする超知性体</title>
         <description><![CDATA[人工惑星ワンダラーを住まいとする超知性体。一種族がそろって肉体を捨て、精神だけが一体化して時空を超越した精神集合体となった。太古から銀河諸種族に銀河の後継者となる機会を与えつづけ、試練に耐えたローダン達を援助するようになる。2326年に正体不明の敵から逃れるために突然姿を消した。その際に太陽系帝国の要人達のために25個の細胞活性装置を銀河中にばらまいたのであるが、それらをめぐってテラナーをはじめ銀河諸種族の激しい争奪戦が起こった。それから約1100年後の3456年には、自身から分裂したネガティヴ精神集合体“反それ”と互いの存在を賭けた銀河規模のゲームを展開し、ローダン達もこのゲームに関わる事となった。このゲームは“反それ”が無数のルール違反を繰り返した事により、審判役である「宇宙の高次勢力」によって“無名ゾーン”に追放され“それ”の勝利に終わった。第10巻。 
ハルノ 
純粋エネルギーからなる時空を超越した放浪生物。普段はサッカーボール大のサイズの黒い球体の形をとる。宇宙のあらゆる場所を表面に映すことができる。

アトラン（Atlan） 
　アルコン人。地球暦紀元前9020年に皇帝ゴノツァル7世の甥として生まれ、アルコン帝国の皇位継承者の資格を持つ。幼名マスカレン、水晶宮王子。青年時代に当時太陽系に存在したアルコンの植民地に派遣され、自らの名を冠したアトランティス文明を築くが、ドルーフ禍による滅亡に伴い地球に取り残された。その際に超越知性体“それ”から細胞活性装置を取得し、人類の歴史に介入しながらアルコンに戻る機会を待つ。2040年にローダンの友となってからはともに太陽系帝国の発展のために尽力する。2044年に第496代皇帝ゴノツァル8世としてアルコン帝国の帝位に就くが、2115年に太陽系帝国とアルコン帝国が「連合帝国」となった際に退位し、星際連合機構（USO）を組織し、USOの長官、政務大提督に就任した。年齢は1万歳を超えており、時の外に一人立つ男と呼ばれている。容姿はアルコン人特有の赤い目と白いブロンドの長髪、長身でもある。危険には非常に敏感で常に最善の保安措置を講じるなど、最悪の可能性を排除せず慎重に行動するため周りからは悲観主義者と見られている。元アルコン帝国の高官として付帯脳を持ち、時に一人称で語られるが、付帯脳とのやり取りが更に現実的悲観主義者像を際立たせる。作中ではテラナーの喫煙習慣に嫌悪感を持つ。テラナー、特にローダンを「蛮人」と親しみ半分揶揄半分に呼ぶ。習慣座右の銘は「人間をふくめ、すべての知性ある存在は、冷静さを失わないことで動物と区別される」。第25巻・第50話。 
エペトラン(Epetran) 
　アルコン史上最高の科学者。ロボット摂政を建造、のちに（ローダン、アトランの時間改変の結果）究極の安全システムを取り付けた。第43巻。 
カルス(Calus) 
アルコン帝国艦隊提督。アルコンⅠで暗殺される。 

 アンティ
セグノ・カアタ(Segno Kaata) 
　バアロルの祭司。アトランから細胞活性装置を奪い、射殺される。 

分子変形能力者
マタール 
　太古の未知種族の生き残りで、エパン人に化けて暮らしていた。テラナーの宇宙船を乗っ取ろうと画策するもエヴァソン、ゴルトシュタインらの活躍によって阻止され、死亡。第37巻 

 スプリンガー
コカツェ(Cokaze) 

テラナー
ウェイン・テイト 
　惑星ツァリトに駐在するテラ工作員。シク＝シクと名づけた旧式の大型迫撃砲を持ち歩く。第62巻。 
ウォルト・スクービー(Walt Scoobey) 
ガンター・チェリッシュ 
　太陽系帝国将校。グレイ・ビーストに流されたミュロンたちを影から援助するために流刑囚のふりをして潜入していた。 
クライド・オスタル(Clyde Ostal) 
トマス・カーディフ 
　ローダンとトーラの息子。2020年生まれ。出生の秘密を隠して育てられた。トーラが殺されると、ローダンが老いた母を死に追いやったものと考え、反乱を起こす。ローダンとすり変わって帝国の実権を握るが、ローダン専用に調整された細胞活性装置を付けたため副作用を起こし、狂死する。 
ホレース・O・ミュロン 
惑星グレイ・ビーストに流された流刑囚。元真正民主主義同盟メンバーだったが、ローダンの暗殺に失敗して流刑に処された。のちにローダンに指導者の素質を認められ、同星に築かれた植民地のリーダーとなる。 
マルセル・ルゥ 
　太陽系艦隊少尉。レンズ・フィールド・ジェネレーターを開発、ドルーフ宇宙への突入に成功する。のちにハデス基地司令となる。 
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 ドルーフ
オノト(Onot) 
リニアエンジンを開発した科学者。エルンスト・エラートの精神と共生する。 

ミュータント
グレゴール・トロプノフ(Gregor Tropnow) 
　ヒュプノ。細胞シャワーを受けられなかったのをうらみ、ノモ・ヤトゥヒンと組んで脱走し、ロボット摂政に情報を売ろうとした。第28巻。 
サミュエル・ゴルトシュタイン(Samuel Goldstein) 
　テレパス。分子変形能力者のマタールと対峙した。第37巻。 
ヨースト・クルマン 
　眼球の焦点を自由に変え、微小なものを見ることができるマイクロオプティカー。顕微鏡的視力をもつスヴォーン人とのコンタクトにあたった。第31巻。 
ローリー・マルテン 
　2017年に生まれる。アンネ・スローンとラルフ・マルテンの娘。のちに細胞活性装置保持者となる。テレパシーのほかに、物質をすり抜けることが可能。2436年、アコンのスパイに射殺される]]></description>
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         <pubDate>Sun, 01 Mar 2009 09:13:24 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>日本建築史</title>
         <description><![CDATA[江戸時代から建築に対する有職故実的な研究は行われていたが、学問として成立するのは明治時代以降である（建築という用語自体、明治時代に造られたもの）。最初期の日本人建築家辰野金吾はロンドン留学の際に「日本の建築にはどのような歴史があるか」と聞かれて何も答えられず、自国の建築史研究の必要を感じたという。辰野の教え子、伊東忠太は法隆寺が日本最古の建築であることを学問的に論じ、ここに日本建築史が第一歩を記した。1900年（明治33年）、パリ万博に際して岡倉天心を中心に『稿本日本帝国美術略史』が刊行されたが、建築の部門を任された伊東忠太は天心の美術史区分に大きな影響を受け、建築史の大枠を築いた。当時、廃仏毀釈で大きな打撃を受けた寺院建築の保護が課題となっており、関野貞は奈良・京都の主な建築を調査し、それらの建築年代をまとめていった。また、建築史学者と歴史家の間に法隆寺の建設年代に関する論争（法隆寺再建・非再建論争）が起こったが、現存する建物の様式論や、六国史などの文献研究はもとより、遺構調査など考古学の発掘成果も取り入れられるようになって、学問の深化が見られた。
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 日本建築史の扱う範囲
第2次世界大戦前までは古代・中世の社寺建築が研究の中心であったが、第二次世界大戦後は民家、江戸時代の社寺、明治以降の近代建築と次第に対象が広がっている（明治以降、旧植民地に日本人建築家の残した作品も対象になっている）。身近な街の古い建物にも関心が高まっており、例えば道端の祠のようなものでも、地域の歴史を物語るものとして評価されることがある。

日本建築の位置付けと特色
日本建築は朝鮮半島・中国からの影響を受けて発展してきた。また近代以降は西欧の影響を強く受けているが、日本の風土・文化に合わせた独自な展開も見られる。

柱・梁を基本構造とする日本建築と、煉瓦や石で壁を築いてゆく西洋建築は対照的な存在であり、20世紀のモダニズムの時代になると、近代建築の理念を先取りした点があるとして注目されるようになった。

原始
三内丸山遺跡 
登呂遺跡 
吉野ヶ里遺跡 
発掘成果に基づき、復元されるものも多くなっている。縄文時代の遺跡である三内丸山遺跡からは予想以上に高度な建築技術を持っていたことがうかがえる。

古代建築
法隆寺 西院伽藍
 
東大寺法華堂（三月堂）
 
平等院鳳凰堂 
飛鳥様式 
四天王寺、法隆寺、法起寺、法輪寺 
白鳳様式 
薬師寺東塔 
奈良時代 
東大寺（法華堂、転害門など）、正倉院正倉、唐招提寺（金堂、講堂など）、法隆寺（夢殿など） 
平安時代前期 
室生寺金堂、醍醐寺五重塔など 
平安時代後期 
阿弥陀堂 - 平等院鳳凰堂、中尊寺金色堂、白水阿弥陀堂、富貴寺大堂 
寝殿造 
飛鳥・奈良時代は、朝鮮半島や中国から建築技術を取り入れた時期である。仏教公伝（538年）以降、日本でも寺院建築が建てられるようになった。記録では577年に仏工・造寺工が百済から招かれた。588年から609年にかけて蘇我氏が築いた飛鳥寺（奈良県高市郡明日香村。法興寺、元興寺とも）や593年聖徳太子創建とされる摂津国の四天王寺(大阪府大阪市天王寺区。天王寺)が、日本最古の伽藍とされる（いずれも当初の建物は現存しない）。現存するものとしては法隆寺の西院伽藍、法起寺三重塔（ともに奈良県生駒郡斑鳩町）が最古のものである。法隆寺西院伽藍は、かつては聖徳太子の時代の建築と信じられていたが、近代における研究の進展の結果、670年の火災以後、7世紀末から8世紀初めの再建と考えられている。法起寺三重塔は8世紀初めの建築である。当時の伽藍配置や技法には、百済の寺院との共通性が指摘されている。遣隋使・遣唐使の時代になると、中国の建築様式の影響が強くなった。

平安時代、国風文化の時代になると建築様式も日本化し、柱を細く、天井を低めにした穏やかな空間が好まれるようになった。平安時代以降には日本独自の形態として発展し、この建築様式を和様と呼ぶ。

 中世建築
東大寺南大門
 
慈照寺銀閣 
鎌倉時代 
東大寺の復興と浄土寺建立（大仏様あるいは天竺様、俊乗坊重源） 
禅宗様（唐様）（禅宗仏殿） - 功山寺仏殿、善福院釈迦堂など 
（俗に）武家造 
室町時代 
鹿苑寺金閣（寝殿造+禅宗）、慈照寺銀閣（書院造+禅宗仏殿） 
主殿造 
鎌倉時代に入ると、中国との交易が活発になったことで、再び中国の建築様式が伝えられた。まず入ってきたのは東大寺再興の際に用いられた様式である（大仏様あるいは天竺様）。

天平時代に建設された東大寺大仏殿は平安時代末期の源平の争乱の中、焼失した。俊乗坊重源は幾多の困難を克服して大仏を鋳造し、1185年、開眼供養。1195年、大仏殿を再建。1203年に総供養を行った（東大寺盧舎那仏像を参照）。

重源が再建した大仏殿などの建築様式は非常に独特なもので、当時の中国（宋）の福建省周辺の建築様式に通じるといわれている。

その建築様式は合理的な構造、豪放な意匠で大仏殿にはふさわしいものであったが、日本人の好む穏やかな空間とは相容れない面もあり、重源が死去すると大仏様も衰えた。大仏殿再建に関わった職人は各地へ移り、大仏様の影響を受けた和様も生まれ、これを折衷様と呼ぶ。

その後、禅僧が活発に往来し、中国の寺院建築様式が伝えられた。これは禅宗寺院の仏堂に多く用いられている（禅宗様あるいは唐様）。

 近世建築
 姫路城天守群（安土桃山時代）
 
東大寺二月堂（江戸時代初期） 
安土桃山時代 
城郭、書院造の完成 - 姫路城、彦根城、松本城、犬山城など 
茶室 
文化史上、室町幕府が滅亡した1573年から、豊臣家が滅亡した1615年までを桃山時代とすることが多い。天下統一の時期にふさわしく、城郭建築が発達し、権力のシンボル的な天守閣が築かれ、御殿は華麗な障壁画で装飾された。また、室町時代に始まった茶の湯は千利休によって大成され、茶室というジャンルが生まれた。

江戸時代 
数寄屋造り 
霊廟建築 - 日光東照宮など 
寺院建築 - 東大寺二月堂など 
宿場町等にみられる町家建築 
民家 
江戸時代は全般に庶民文化の栄えた時代であるが、建築でも世俗化の傾向が顕著に見られる。茶室を住宅に取り入れた数寄屋造りや、都市の娯楽施設である劇場建築・遊廓の建築などがその例である。また、民家も一部は書院造の要素も取り入れ、次第に発展していった。寺院建築の中でも、庶民信仰を背景に、善光寺・浅草寺など大多数の信者を収容する大規模な本堂が造られるようになった。

近世建築関連人物一覧
長船綱直 
小瀬甫庵 
織田信長 
加藤清正 
黒田如水 
小堀政一 
角倉了以 
高山右近 
藤堂高虎 
徳川家康 
丹羽長秀 
松倉重政 
安井道頓 
山本勘助 
淀屋常安 

近代建築
異人館／神戸市風見鶏の館 
西洋館・異人館 - 北野町山本通、銀座煉瓦街など 
擬洋風建築 - 開智学校、龍谷大学講堂、白雲館など 
建築家の誕生 - ジョサイア・コンドル、辰野金吾など 
歴史主義建築 
分離派建築会 
モダニズム建築 
幕末に居留地が開かれると、外国人の住居、商館、教会などが建てられるようになった。グラバー邸は長崎の高台に築かれ、グラバーの指示に従って日本人が建設したものだが、来日した外国人技師によるものも見られるようになった。これら居留地の建築に刺激を受けた棟梁たちが明治初期にかけて各地に見よう見まねの洋館を建てた（擬洋風建築）。

明治初頭、日本政府は近代化に必要な都市を築くため、西洋建築の技術を得ようと躍起になっていた。お雇い外国人として、ウォートルスやコンドルが招かれた。コンドルは工部大学校で日本人建築家の育成に努め、「日本建築界の父」ともいわれる。教え子の第1期生が辰野金吾である。

政府による官庁集中計画が立てられると、専門家育成が必要になり、ヨーロッパの中でも日本がめざすべき先進国と考えられたドイツ政府に指導的人物を打診した。ヘルマン・エンデ(Hermann Ende)とヴィルヘルム・ベックマン(Wilhelm Boeckmann)の共同設計事務所（エンデ・ベックマン事務所）が担当することになり、エンデとベックマンらが来日した。彼らは近代国家建設に要する技術習得のために日本人のドイツ留学を時の日本政府に進言し、政府は建築技師として妻木頼黄・渡辺譲・河合浩蔵の3人、石工・大工・人造石左官・煉瓦職・ペンキ職・屋根職・石膏職の高等職人17人で構成された総勢20人の青年をドイツに留学・派遣した。3年の留学の後、知識と技術を得た彼らのうち数人は後に現東京工業大学の第1期卒業生となり、ある者は美術家となるが、彼らの多くは日本国内の建築分野で活躍した。ほか特記事項として、ロンドン大学に留学した桜井小太郎が1892年（明治25年）に日本人初の英国公認建築士の資格を得ている。

日本において建築とは、まず近代化のために西洋から学ぶべき技術として捉えられ、芸術・美術と捉える意識は薄くなった。また濃尾地震や関東大震災で煉瓦造建築に大きな被害が生じたことから、日本独自の耐震構造技術への関心が高まった。こうして、建築はもっぱら工学的な学問と考えられる風潮が強まった。この意識は今日まで続いている。

一方、大正中期の1920年に日本初の建築デザイン運動として、堀口捨己・山田守・石本喜久治・森田慶一・瀧澤眞弓等の東京帝国大学建築学科出身者が集まり分離派建築会の活動が始まった。

現代建築
東京都庁舎戦争で大きな打撃を受けた建築界は、戦後復興、高度経済成長の中で活躍の場を見出した。鉄筋コンクリートの使用が一般的になり、各地にモダニズムの公共施設が建設された。地震の多いことが日本の課題の一つであったが、耐震構造技術が進み、かつては百尺（31m）に制限されていた規制も緩和され、超高層建築が建てられるようになった。丹下健三、槇文彦、安藤忠雄など世界的な評価を得る建築家も増え、日本の現代建築のレベルは上昇した。

一方、都市の美観という発想は、大正・昭和初期の建築家の一部に見られたものの、戦時体制・戦後復興の中でほとんど影をひそめてしまった。伝統的な街並みや過去の優れた建造物の多くが戦災や経済発展の中で失われ、経済性・合理性優先の安上がりな建築が多くなり、スクラップアンドビルドが繰り返された。しかし「いつの間に日本の都市はこんなに醜くなったのか」と反省する声[要出典]が大きくなり、重要伝統的建造物群保存地区の選定や景観法の制定など、美しい都市・国土への関心も高まりつつある。

日本建築史の研究者
天沼俊一 - 社寺建築の細部の変遷を詳細に研究した。 
伊東忠太 - 日本建築史の第一歩を記した。 
稲垣榮三 - 神社の研究を進め、特に伊勢神宮と出雲大社の心御柱に注目する見方を提唱した。 
太田博太郎 - 中世建築・民家など幅広く研究を進めた。 
関野貞 - 奈良・京都を中心に全国の古建築の調査を行い、文化財保護に尽くした。 
長谷川輝雄 - 四天王寺など失われた寺院建築の復元的考察を行った。 
林徽因 - 飛鳥時代の日本建築と隋朝の中国建築の比較研究を行った。 
藤森照信 - 全国の近代建築を紹介して一般に認知を広め、研究対象を看板建築やアジアの近代建築にも広げた。 
堀口捨己 - 茶室を思想的な背景のもとに考察した。 
宮上茂隆 - 寺院や、城郭建築を建築史の技法を使って再現の研究を行う。 
村松貞次郎 - 日本の近代建築を技術史的に研究した。 
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         <link>http://bgi.dcbbqm.info/2009/02/post_67.html</link>
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         <pubDate>Tue, 10 Feb 2009 12:03:46 +0900</pubDate>
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